引き続き 『昭和天皇とその時代』 を読み進めている。
当時のことはやはりその時代を生きた人に聞こうと思い、祖父に電話。
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以下は祖父の話。
・成績・家柄・係累・容姿・健康状態などあらゆる事柄が良好で
優秀な人間でないと近衛兵には選ばれない。
・上京した後の健康診断で肺に影が見つかり故郷へ帰れと言われたが、
自分は兄弟が多く、母親には 「しっかりやってこい」 と送り出された手前
心配をかけるわけにはいかず、誰にも言わずに空気の良い土地でしばらく静養していた。
・そうして再度診断を受けると肺の影は消えており、
「お前のようなやつは初めてだ」 と言われた。
・起床ラッパを吹くのが下手なやつは上官からよく怒られていた。
・休みの日には神田をよく散歩した。
・皇居をお守りしていると皇族のお子様方が 「兵隊さん、遊ぼうよぅ」
とまとわりついてきて、そのさまが可愛らしいので、
しかつめらしい顔で立っているのが大変だった。
・今上両陛下や皇族方が公務などで自分達の県へいらっしゃる際には、
近衛兵など当時お仕えしていた者はお目通りの機会を設けられる。
・それは名誉なことだが、その場へ集まる当時の仲間が
年とともに少なくなるのが寂しい。
・紀子さんはかわいい。
あまのじゃくでしょっちゅう憎めない嘘をついては、私たちが困ったり笑ったりするのを
楽しみにしている祖父なので、上記の話もどこまで本当か分からないが、
集まる仲間が年々減っているというのは本当なのだろう。
*
私が東京の大学へ行くことが決まった時から、祖父は手紙や電話でいつも
「靖国神社へお参りしなさい」 、「靖国へはもう参ったか」 と聞いてきて、
その度に 「まだ行ってない」 、「興味ないよ」 などと答えては 「バカモン」 と言われていた。
そういうやり取りを繰り返し、私がようやく靖国神社へ行ったのは23才の春。
しかも骨董市目当て。18の時から既に5年が経っていた。
大麻やお守りを買って、長い間言われていたのにお参りに行かなかったことを
謝る手紙を添えて祖父宅へ送ると、祖父からはとてもうれしそうな声でお礼の電話があった。
祖母によると、私が送った大麻を家の目立つところに飾って、訪れる人には
「東京に住む孫がわざわざ送ってくれた」 と、それは誇らしげに話していたらしい。
靖国神社と目と鼻の先のところに住んでいながらなかなか行かなかった自分の浅はかさ、
年を取って体に無理が利かなくなっているので気軽に東京見物などできない祖父の気持ち。
祖母からその話を聞いて泣きそうになったことを思い出した。
去年の秋に私の結婚式で東京へ来ることになった祖父は、ようやく再び自分の足で
靖国へ行くことができてとてもうれしそうだった。