浅草のケーキ屋、 『Patisserie NANAN』 の桜ロール。
名前の通り、桜が咲く少し前から販売~散り始めると終了という季節限定モノなので、
この1ヶ月間は浅草に行く度に欠かさず購入していた。
スポンジの中だけでなく上にもたっぷり乗っている、桜のリキュールを使った
やさしいピンク色のクリームがめちゃ美味しくて、コーヒータイムにぴったり。
もちろんスポンジもしっとり柔らかくておいしい。
買いに行く度にお店の人に 「 販売はいつまでですか?」 と聞いては
「 もうすぐ終わりです、もう次の限定ケーキも決まっているので (ニッコリ)」 と
言われていたが、今日買いに行った夫が聞くと、本日までとのことでもう本当に最後らしい。
桜の季節の短さに少ししんみりしながら、ケーキはしっかり平らげた。
G.W.4/26(水)~5/8(月)の計13日間に渡り、銀座松坂屋の7階催事場にて
『没後25年 向田邦子展』 が開催される。
(参照URL : http://www.nhk-sc.or.jp/event/contents/mukouda.html)
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5年前に日本橋高島屋で開催された没後20年の向田邦子展には
最終日の前日に行き、今もチケットの半券は手帳に大事にしまってある。
確か土曜日で、昼のバイトを終えた後に神楽坂で友達と待ち合わせをして
地下鉄東西線で行ったなぁ。その友達は寮で一緒だった子で、
私が向田邦子を薦めたところ見事にはまったために、向田邦子展に同行することになったのだった。
向田さんが愛したゆかりの品々が一堂に会していることや、貴重な原稿や
当時の映像が見られるのはファンとしてはまたとない機会なので嬉しい限りだけれど、
同時に向田さんはもうこの世にいないと実感させられることでもあるので、
手放しでは喜べないとても微妙な気持ちだ。
思えば前回の向田邦子展から5年が経ち、環境は変わったけれど
体調の問題はあまり前進してはいないなぁ…。
引き続き 『昭和天皇とその時代』 を読み進めている。
当時のことはやはりその時代を生きた人に聞こうと思い、祖父に電話。
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以下は祖父の話。
・成績・家柄・係累・容姿・健康状態などあらゆる事柄が良好で
優秀な人間でないと近衛兵には選ばれない。
・上京した後の健康診断で肺に影が見つかり故郷へ帰れと言われたが、
自分は兄弟が多く、母親には 「しっかりやってこい」 と送り出された手前
心配をかけるわけにはいかず、誰にも言わずに空気の良い土地でしばらく静養していた。
・そうして再度診断を受けると肺の影は消えており、
「お前のようなやつは初めてだ」 と言われた。
・起床ラッパを吹くのが下手なやつは上官からよく怒られていた。
・休みの日には神田をよく散歩した。
高校生のときに世界史仲間(※)の友人が強く薦めて貸してくれた
漫画 『バジル氏の優雅な生活』 (坂田靖子著、白泉社文庫)をふと思い出して
夜中に第1~5巻までポチっと購入した。
華やかなりしヴィクトリア朝の大英帝国を舞台に、プレイボーイでお節介焼きの
バジル・ウォーレン卿に舞い込む事件や騒動を、バジル氏を囲む様々な人々と共に描いた
古き良き時代のロンドンを堪能できる作品。
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世界史仲間とは (以下高校時代の回想)
高3に上がるときに大学受験に備えて国公立・私立、文系・理系など
進路別にカリキュラム分けがあり、私立文系の私は歴史の科目を選択する際に、
(世界史は広く浅く学べて楽だろう、日本史で一揆とか米騒動とか掘り下げて学んでもね)
と軽く間違った考えで世界史を選んだ。
私と同じ理由でかどうかは不明だが、学年で世界史を選択したのは私を含め8人。
(ちなみに一学年は1クラス約40人で4クラス。)
この8人で、後に述べる一風変わった世界史の授業を乗り切っていくことになったのだ。
オリンピックの聖火は、前回のオリンピックから次回までの丸々4年間、
ランナーによって走り継がれているものだと思っていた。つい2週間前まで。
私たちが 「あの競技のあの場面は感動だったよねー」 なんて
オリンピックの感慨に浸っている間にも、次回のオリンピックに向けて
世界のどこかを聖火 (を持った人) が走っているんだと。
他にも、4年の間にうちの近所も走ることになって町内で聖火ランナーが募集されたりして、
もちろん大事な聖火に何かあってはいけないから素人ランナーの持ち距離は短くて
(角のコンビニから交番までとか)、でももしうっかり聖火ランナーに選ばれたとしたら、
私のことだから転倒して火を消しちゃってサマランチからめちゃくちゃ怒られるだろうな…
等など。
IOC会長がまだサマランチだと思っているところや、
そもそも自分が聖火ランナーにと予想するあたり、
相当頭弱 (あたまよわ) の症状が進んでいると思う。